2009年5月8日金曜日

自由によって失われたもの

[日本が終わっている本当の理由]
なんかもう、ネタ元とは全然違った方向に進んでしまっている感が。

確かに、新興宗教関係者という連中は死に絶えていただきたいものではあります。節度のない喫煙者ですとか抑えの利かないパチンコ・パチスロ廃人の皆様方とはまた違ったレベルで。ではありますが、皆、犯罪者には成りたくないので放置しちゃうんですよね。

日本における『信教の自由』って、敗戦のドサクサで取り入れられることになったわけで、その頃の当事者が念頭に入れていたのは、第一義的には、江戸時代に弾圧もあったキリスト教の地盤を磐石にするためだったんだと思います。それはそれ、そっちでも統一教会だのエホバの商人だのと、困った人々はどこにでもいらっしゃいます。
でも、いわゆる『ホロコースト』他の大変悲劇的な出来事を経た結果、我々人類社会は、自身の社会の中で暮らす、共存・共栄できる可能性が限りなくゼロに近い人々のことをどうにかすることどころか、どうにかしようと考えることすら『よくないこと』と子に教えなくてはならなくなってしまった。


[以下、上記エントリの宗教とは直接は関係ないです。ええ、ネタ元とは違う話です。]
その昔、公明党と共産党がほぼ互角で、野党内で互いに仲良く喧嘩することで冷戦期のこの国の安寧は保たれてきた訳です。それが今や与党として当たり前の顔をしている。
それは、日蓮宗系の仏教の教義が多分にイスラム的というか、政教分離って何それ的な側面もあるわけで、大変不謹慎な話、信長さんなりそれなりなかたが跡形なく根絶やしにしてくださっていれば、こんな面倒なことにはなっていなかったとも言えるかもしれません。
ここ数年の間で、選挙協力とかで公明党に本当に票を入れちゃった自民党支持者ってのが一定数はいるのであれば、その人たちは、確かに猛省すべきだと思います。

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