2008年3月1日土曜日

透過的ルールと能力

何もホワイトカラー層に限らなくても、そこらの飲食店でパートさんが死ぬほど忙しそうだったりするのが珍しくない。
自分の周辺でも、ただでさえ火を噴いている現場に、J-SOXだかなんだかというワケワカラン法律がさらに滅茶苦茶にしそうな予感がある。

やっぱり、法律はちゃんと勉強すべきだと、最近、痛感しつつある。

法律を作る権利が、選挙で選ばれた人間に与えられる。
しかし、その権利取得の課程に、法案の立案能力を問うような仕組みが何ら存在しない。
政治家は自らの保身に狂奔し、政党は、勢力争いに明け暮れる。
反対のための反対。それを回避するための強行採決。

たとえば政党助成金などという意味のわからないものを作り出し、自ら『ただの公務員』に成り下がって。
要するに自らの陣営の支持者が増えないものだから、支持してくれる外国人に選挙権を与えちゃえ、というトンデモ法案が出されたりさえする。

国際政治の世界だって、そのプレーヤー達がやってることは国内と大して変わらない。
最近では二酸化炭素の『排出権』とか言う、訳わからないものに金銭的価値を設定して、売買するという。
本質的にばかとしか思えない。どの辺が環境保護へのインセンティブになっているのかよくわからない。人口が多い国がもっと汚くなって、少ない国がもっとクリーンになるってだけのことじゃないか。

何せ、日本の一地方程度の人口しかない『国』がごまんとあるのだ。
日本は47の国となって、国連に参加すればいい。
これで47票獲得だ。やったね。
…あーあほらしい。

そういう人たちの営みが企てとなって、どういう結果に実を結んでいるのかって事が、ほんの少しだけだけど、わかってきた気がしている。

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