2008年3月9日日曜日

情報処理関連技術とお金について

世間で

ゲイツ(Windows) vs オープンソース(Linux)

こういう構図で語られる事が多いように思う。金を取る方と取らない方、不自由と自由、巨悪と正義。
笑っちゃうのを通り越して、あまり笑えないことに、情報関連の仕事に携わっているような人でも、その程度の単純な認識で両者を理解してしまっているのかもしれない、と推察できるような記述・言動をする方がいらっしゃる。

現在の状況だけでもって客観的に判断することと、歴史的な経緯を踏まえての判断とは、違う場合があって、結果的に同じ判断になるとしても、そういう裏があるのとないのとでは、大きな違いがあるんだと思う。思うんだけど、それをうまく個人的な体験から語ることは、現在の自分にはできない。
だから、以下に、パーソナルコンピュータというもの発展してきた経緯、歴史といったものの概要を示したい。なにぶん頭の中の記憶を頼りに、ちょっぴりWikipediaを参考にして書いてみたので、ディテールでまだ誤っている部分はあると思うけれど、大筋では間違っていないつもりです。

1.始まり
当時最先端の市場だったであろうアメリカ合衆国国内でさえ、コンピュータがまだ一般的な道具ではなく、多くのメーカー達が、相互に互換性のない『パソコン的なもの』を作って、そういうのが好きな人向けに売っていた頃。
当時、まだパソコンには標準的なOSと呼べるようなものは存在せず、お店で手軽にソフトを買ってくるわけにも、ネットで落としまくる訳にもいかず、自分で作るしかなかった。だから、そういったパソコンは、プログラミング言語のソースコードエディタ兼、実行・デバッグ環境と一体化した『OSのようなプログラミング言語』を搭載していた。多くの場合、それはBASICという言語だった。ウィリアム=ゲイツ3世は、ともかくそういうBASIC言語を各メーカーのパソコン向けに移植し売っていた。それがMicrosoft、最初からソフトウェアを売る会社だった。
この時期のパソコンでも、ソフトウェアが製品パッケージとして流通し、また記憶装置としてテープから遙かに高速なフロッピーディスクにメディアが移り変わるにつれ、ソフトウェアの数が資産となって特定の機種が売れるようになっていく。もっとも売れたパソコンはAppleのApple IIという機種だった。AppleIIはソフトウェアだけでなく、回路図が公開されていた拡張スロット向けに拡張カード類も豊富に流通し、一時代を築いた。

2.はたらく ぱそこん
そのうち、ある程度高性能化し、ビジネス用途にも使えるかな、という雰囲気になって来ると、それまで大型機ばかりやっていたIBMが新規参入する事になる。
このとき『ウチらどうせ後発やし、なるべく既存の部品を組み合わせて、ぱぱっとデッチあげてまえばええやん』という高度な意志決定があったらしい。
OSは内製せず、既にそれなりに名が売れていたMicrosoftに話を振った。CPUも内製せず、Intelに振った。そうやってほとんどすべてのパーツを外部から調達した。内製した基幹部分の仕様も公開し、サードパーティの参入を容易にした。それはまさにApple IIの再来だった。
ここからが、伝説(人によっては、暗黒の二重帝国時代とでも言うのかもしれないが…)の始まりである。

3.大型機の終わりの始まり
既にIBM-PCの3代目、IBM-PC/ATとその互換機(いわゆる『AT互換機』)がデファクトスタンダードになり、巷に溢れかえっている世界。ガラパゴス諸島状態だった日本も、この世代以降、だんだんと足並みが揃うようになってゆく。
そのCPUの主たる供給元であるインテルが、80386(後にi386に改称)というCPUを開発し、それがPCにも採用されてきた頃。それは普段は只の『より高速な16ビットCPU』として動作したが、その裏で、アドレスバスが32ビットで、かつ仮想記憶が利用できるようなモードを隠し持っていた。NECのPC-9801シリーズ等には、結局そんなモードで動くことなく廃棄されていった386搭載機も多いはずである。実は386にはもう一つのモードがあって…は本稿では割愛。
メインメモリとして使われる半導体素子、いわゆるDRAMはまだまだ高価で、あまり沢山は積めなかったけれど、ハードディスクはようやくまとまった容量のものが、個人向けPCに搭載してもいいかな位の値段まで下がってきていた。それは、研究所や大学の大型計算機上で動作していたUNIXの動作要件を、PCが満たしつつあったということだ。後はもう、コストと性能との兼ね合いでしかなく、果てしないコストダウンが始まる。
フィンランドのヘルシンキ大学に「あ、PCでもUNIX動かせるんじゃねえの?」と考えた学生がいた。
もちろん、そうした大学生よりも先に、80386(や、それより前の世代の)CPU搭載PC向けにUnix的なものを移植した、しようとした人や会社はいくつかあった。ただ、普及するような性能が出せなかったり、普及するするような価格で提供されなかっただけで。
表向きはMicrosoftとIntelの伝説の続きの時代ではあったが、ここからが、もう一つの伝説(とあるロン毛のおじさんはきっと『いや、それは俺の活動が起源だ!Emacs使え!!』と言うに違いないが…)の始まりでもあった。


…あーやっぱかったりー。

いや、だから、このエントリで言いたかったこと。
・『私の生まれた頃には、既に家にコンピュータがあった』なんて言い回しがあるけれど、パーソナルなコンピュータの発展はここ数十年の事だから、同世代の人間であっても、働き始める前から興味があったかどうかで、知識には雲泥の差が出るんです

・なりたくなかろうとなりたかろうと、誰もゲイツにはなれない
・誰もゲイツになれないのと同じように、誰もリーナスにもなれない

・誰もMicrosoftを責めることはできない
・EUが4億人を代表して訴訟起こしてるのって、ある意味MSに対する優しさなんだろうか。各国で弁護士用意しなくていいように、みたいな
・Microsoftに比べて、Intelについてみんな関心薄すぎ

・カーネルだけじゃない、OSの継続的なサポートについて、アメリカ合衆国発祥の企業体以外でそれなりに真っ当に運営できている組織って、どこにもないんじゃないでしょうか?
・ソースコードを入手できる自由というものは、『ソースコードを受け取らない自由』と表裏一体だと思う
・ソースコードを受け取らない自由のお陰で、我々はWindowsをブラックボックスとして扱い、その安定化・高性能化をMicrosoftに専任させている、という考え方は駄目でしょうか?

[OLPC プロジェクト、「マイクロソフトのような」経営のできるCEOを募集中] 『このプロジェクトが難航している理由をまとめ、解決方法を考えなさい』とかそういう課題をコンピュータリテラシの科目で出題したら面白いんじゃね、とか思った

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