2008年3月23日日曜日

この平和な国に住んでいて、あまり抱くことのない感情を抱いてしまう事件

案外多くの人と同様、僕も、先日のテレビで映画『それでも僕はやってない』を初めて観た。
自分が所属する性別の人々にとって、余りにも、何の救いもない話だった。
結果的に嘘とわかった時点で、その真犯人なり偽証した人間は、江戸時代や中世ヨーロッパ的な、あるいは明治大学にある博物館的な、精神的でも空間的でもなく、物理的で身体的な手法で遇されるべきだ、と心から思った。それが絶対的に正しいと言えるのか、なんてどうでもよくて。

[「男性専用車両を導入してほしい」の声が噴出?]

男性専用車両という発想は『なんだかなー』と思いつつ、切実な問題だとも感じる。
いや、それだけじゃ生温い。
むしろ、もう丸ごと『男性専用列車』『女性専用列車』に分けちゃったらいいじゃないの。
被害経験のある女性に配慮して、ホームも階段も改札も分割。
いやいや、住む所も別。
いやいや、街も、…いっそ国も分けてしまえ。
結婚?恋人?そんなとんでもない。

他にも、
電磁波の影響を受けるペースメーカーをつけている方専用車両とか、
ガムを口閉じて噛めない方専用車両とか、
難聴でも音楽が聴きたい方専用車両とか、
喫煙される方専用車両とか。
どっちかって言うと、それ以外の車両には乗っていただきたくないわけだけれど。
そして、やはりそれだけじゃ足りないから…

乗車可否の判断には、腕章つけさせたりとかな。



(あくまでも皮肉なので、そういう社会の到来を望んでいるわけではないですよ、と断っておく)

だから、やっぱり痴漢冤罪には厳正に対応すべきだと思う。

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