2008年3月30日日曜日

ソニーの経営者の名誉のために一言

[「おもてなしの経営学」:ソニーのエンジニアの名誉のために一言]

先に断っておきますが、私は一介のユーザに過ぎません。社内の事情なんて、想像しかできません。

ある会社のある製品が糞だった時、あるいは全然売れなかったとき、オープンソースコミュニティなどとは異なり、世間では普通、エンジニアではなくてその経営者のことがボロクソに批判されます。
たとえば、結果として壮大な糞だったWindowsMeというOS。WindowsMeに至る元としての、Windows98と、そしてWindows95の『OSR2』。特にそれらの上でのUSB関連の動作(の、恐ろしく素晴らしかった安定性)。
上記エントリのさらに元エントリを書かれた中島さんという方がMicrosoftに在籍されていた頃、(MOSAICを元に)IE3.0を作られ、続く4.0では、IEのシェルへの統合を提案されたと聞きます。かなり根幹の部分に関わられていたとお見受けしますが、USBの実装とかMeへの関与とかは存じ上げません。
一般的に、Windowsが非難されるとき、少なくとも日本国内では、それがGatesに対する非難に結びつくことはあっても、中島さんが非難される事は(普通は)ありません。

OpenMGおよびOpenMG JukeBox、そしてSonicStageのことを『あれはどうしようもない糞だった』と言うとき、忘れてはならないファクターがあると思います。
VAIOの上で動いていたのは、そしてその上でOpenMG JukeBoxを動かしていたのは、常にWindowsでした(勿論、Windows搭載PCならVAIOじゃなくてもよかったわけですが)。
そして、SonicStageを語る上で外せないのは、YouTube以前は糞以外の何者でもなかったFlashをUIまわりに採用したこと(いや、だから、むしろこれは評価されるべきだったんじゃ…はいはい、あくまでも個人的な意見ですが)。

そんなことに言及したところで、
『エンジニアが望んでいたのは誰にでも使えて、安定して動作するOS・ミドルウェア。ところが上からの命令でこのWindowsとFlashを使えと強要されたのです。』
こう返されてしまえば、それまでではあります。




…やっぱり『一言』じゃ済まないなあ。

結局、経営でも開発でも、重要なのは『おもてなし』なんてよくわかんない表現じゃなくて、『少し先の未来を、どれだけ正確に予測できるか』てことなんだと思うんですよね。通り一遍の、面白味のない結論ですが。

・無法なんてレベルじゃなかったMP3とインターネット
NapsterもWinMXもWinnyもまだない時代、『OCNエコノミー』とか『テレホーダイ』なんて単語がまだ存在していたその頃、GeoCities等の無料ホームページサービスや、夜間だけ稼働するローカルFTPサイトなどで、MP3データが公然と流れまくっていた(MP3なんてかわいいもので、所謂『Warez』だの『ROMファイル』だの…)。
あの状態でSony経営者にMP3採用なんて絶対に考えられなかったと思う…いくら、問われるのが『結果責任』だったとしても、元エントリの論点としてすごく卑怯だと思う部分。

・物価
500GBの3.5インチベアドライブが数千円で買えるような現在とは違い、HDD容量が、PCの価格差に占める割合が遙かに高かった。
(それでも、確かに、登場当初からバイトあたり単価はフラッシュメモリよりHDDの方が優れていたんだよなあ。)

・『PCの周辺機器』か『ポータブルオーディオ機器』か
初代のiPodは、現在よりもまだセレブなユーザが多かったMacユーザ向け周辺機器として売り出された。決してUSBなんていう貧乏人向けの規格なんて採用せず、電池もノートPCでもニッケル水素が生き残っていた時代にリチウムイオンを奢り、マスマーケット狙いの製品ではなかった。
(とはいえ、直後の2代目で既に、Windows版製品も出してきている訳ですが…。Windows版iTunesこそ間に合わなかったものの、ちゃんと、Macには絶対に必要のない『IEEE1394の6ピン端子を4ピンに変換するコネクタ』の、それもちゃんとリンゴマーク入りのを付属して。)
蛇足ながら、PC周辺機器というもの自体が、全体的にもっと高額だった。

・CONNECT Player
…あら、何だったかしら?
そんな名前のものが何かあったような気がしたんだけど…きっと気のせいね。
決してこの単語でググったりしちゃだめよ。

2008年3月23日日曜日

この平和な国に住んでいて、あまり抱くことのない感情を抱いてしまう事件

案外多くの人と同様、僕も、先日のテレビで映画『それでも僕はやってない』を初めて観た。
自分が所属する性別の人々にとって、余りにも、何の救いもない話だった。
結果的に嘘とわかった時点で、その真犯人なり偽証した人間は、江戸時代や中世ヨーロッパ的な、あるいは明治大学にある博物館的な、精神的でも空間的でもなく、物理的で身体的な手法で遇されるべきだ、と心から思った。それが絶対的に正しいと言えるのか、なんてどうでもよくて。

[「男性専用車両を導入してほしい」の声が噴出?]

男性専用車両という発想は『なんだかなー』と思いつつ、切実な問題だとも感じる。
いや、それだけじゃ生温い。
むしろ、もう丸ごと『男性専用列車』『女性専用列車』に分けちゃったらいいじゃないの。
被害経験のある女性に配慮して、ホームも階段も改札も分割。
いやいや、住む所も別。
いやいや、街も、…いっそ国も分けてしまえ。
結婚?恋人?そんなとんでもない。

他にも、
電磁波の影響を受けるペースメーカーをつけている方専用車両とか、
ガムを口閉じて噛めない方専用車両とか、
難聴でも音楽が聴きたい方専用車両とか、
喫煙される方専用車両とか。
どっちかって言うと、それ以外の車両には乗っていただきたくないわけだけれど。
そして、やはりそれだけじゃ足りないから…

乗車可否の判断には、腕章つけさせたりとかな。



(あくまでも皮肉なので、そういう社会の到来を望んでいるわけではないですよ、と断っておく)

だから、やっぱり痴漢冤罪には厳正に対応すべきだと思う。

他人の肺と、実験動物

[受動喫煙 動物実験で被害証明]

2008年3月22日土曜日

2008年3月16日日曜日

あの程度でメガ・ショックなのかどうか怪しい

[[ハードウェア]Wiiテレビの友チャンネルが家電業界に与えたメガ・ショックとは]

個人的には、無料でダウンロードできる何とかチャンネルの類について、任天堂が本気で造っているのか、がそもそも疑問なのだけれど。

・家電業界がショックと思っているかどうか、それはわからない。『あれだけのCPUとワークメモリが積めるんだったらウチだって』と思っているに違いない、とは思う。決裁書が必要とかどうとか、さも家電業界が愚鈍で守旧的であると印象づけようと書かれているが、それは家電は普通、一回製品の形にしてしまったらそれで終わり、よほどの不具合でないとそうそう更新できないからで、それこそ、ユーザが自由にダウンロードでき、しかもそれが仮にちゃんと動かなくても、別に主要用途ではない、要するにほとんど責任のないソフトウェアとはレベルが違っていいだろう。

・AV評論家とかそういう仕事でもしていないと、なかなか近年の家電の操作性なんてものを把握するのは無理だろう。普通の人は、自宅にある1~2台のテレビの操作性しか知らないのではないか。というより、このエントリを書かれた方が、どういう前提で『現在の家電は操作性が悪い』という前提に立たれているのか、そこがまず疑問。またこの方が、テレビ標準の番組表機能を捨て去って、毎日テレビの友チャンネルを使うのか、それも疑問。
残念ながら自分は先に東芝と出逢ってしまっているのでよくわからないが、Sonyのスゴ録とかブルーレイレコーダーなら、結構、操作性いいんじゃないだろうか。そういう意味で、現状に競争がないとは思えない。

・個人的には、テレビ(や家電)のリモコンの操作が辛いのは、ボタンの数(の多さ)ではなく『いちいちテレビ画面方向に向けて操作しなければならないこと』であると思う。どうしても画面に向けたくなるので、ボタンが多いと位置が覚えられず大変。ボタンを押し込む時、人はどうしてもリモコンを振ってしまう。角度が悪いと本体側が反応せず、苛ついて何度も同じボタンを繰り返し押してしまう。
その点、原則として画面に向けなければならない、それどころか、画面内の所定の場所を正確にポイントする必要があるWiiリモコン(というか、WiiのGUI)は問題外である。折角、無線で繋いでいるのだから、十字キーで画面上のコントロール(ボタンとか、押せる部分ってことね)を遷移できたっていいのに。特にゲーム以外のものは。

・電子番組表の見せ方に工夫が必要だ、ということはわかる。とはいえ、そもそもGUIが必要なほどテレビ番組表とにらめっこするのは、おそらく『録画予約』の為であって。だから、本気で造ってるのか疑問な部分なんだけど。

・テレビの友チャンネルがちょっと凄いゾって思われたのって、番組の注目度をシームレスに3Dに切り替えて表示できるところだけだと思うんだけど。みんなの注目度をネットで集計した結果を見られる機能は、少なくとも東芝のRDシリーズは既にやってる。…ユーザ数もユーザの嗜好の偏りも段違いかもしれないけどさ。お前らアニメ予約しすぎ。
とはいえ、人はWiiリモコンだけでテレビを見るわけではないし、テレビの友チャンネルでスタンプが押されていることが、その人がその番組を必ず視聴することを保証するものではない。メタデータの活用とか、『2.0』的なウンタラカンタラってそういうレベルじゃない。

・検索機能だって、家電や携帯電話と比べて、特に文字入力しやすい訳でもないし。PCとは比べるべくもないし。繰り返しになるけど、Wiiリモコンって文字入力が一番疲れる。

・細かい部分だが、設定の幅が浅い気がする。たとえば、テレビ埼玉とTVKと東京MXを共存させることができない、とか。

・少しでも現状の『Wiiテレビの友チャンネル』の使い勝手を改善することを考えた場合、まず課題となるのは
1.Wiiの電源ON
2.テレビ側で、画面をWii接続先に切り替える
3.健康や安全についての警告画面
4.Wiiメニュー上で、リモコンでWiiテレビの友チャンネルをポイント
5.『はじめる』をポイント
  6.番組表を更新(必要な場合のみ?)
この6ステップの短縮がどこまで可能なのか、ということだろう。

・結局の所、わざわざパケット代とか月額料金を払って携帯で見るよりはマシだと思うけれど、テレビの前で、休止状態のWindowsPCを復帰させてインターネットTVガイドのサイトとかを見に行けば、それで別にいいと僕は思う。そもそも新聞でいいし。新聞取ってなくて、その場でネットに繋がる環境がWiiしかない場合はいいかもしれないけどさ。

2008年3月10日月曜日

syslogdが何をするものかを知っているかどうかと、知っている必要があるか

[Mac] Mac OS X Leopard の syslogd 暴走問題 21:53

微妙に、syslogdをsyslogdとして、ありのままを受け入れている感じ。
コメントしてる一部の方は知ってそうで、でも知らない人に啓蒙する気はない模様。英語の元エントリを読めと。

それと。『表示は英語の方がなんとなくカッコいいから、まいっか』ってのは、ユーザがメーカーを甘やかしすぎじゃないのか?と思う。思うだけー。

2008年3月9日日曜日

情報処理関連技術とお金について

世間で

ゲイツ(Windows) vs オープンソース(Linux)

こういう構図で語られる事が多いように思う。金を取る方と取らない方、不自由と自由、巨悪と正義。
笑っちゃうのを通り越して、あまり笑えないことに、情報関連の仕事に携わっているような人でも、その程度の単純な認識で両者を理解してしまっているのかもしれない、と推察できるような記述・言動をする方がいらっしゃる。

現在の状況だけでもって客観的に判断することと、歴史的な経緯を踏まえての判断とは、違う場合があって、結果的に同じ判断になるとしても、そういう裏があるのとないのとでは、大きな違いがあるんだと思う。思うんだけど、それをうまく個人的な体験から語ることは、現在の自分にはできない。
だから、以下に、パーソナルコンピュータというもの発展してきた経緯、歴史といったものの概要を示したい。なにぶん頭の中の記憶を頼りに、ちょっぴりWikipediaを参考にして書いてみたので、ディテールでまだ誤っている部分はあると思うけれど、大筋では間違っていないつもりです。

1.始まり
当時最先端の市場だったであろうアメリカ合衆国国内でさえ、コンピュータがまだ一般的な道具ではなく、多くのメーカー達が、相互に互換性のない『パソコン的なもの』を作って、そういうのが好きな人向けに売っていた頃。
当時、まだパソコンには標準的なOSと呼べるようなものは存在せず、お店で手軽にソフトを買ってくるわけにも、ネットで落としまくる訳にもいかず、自分で作るしかなかった。だから、そういったパソコンは、プログラミング言語のソースコードエディタ兼、実行・デバッグ環境と一体化した『OSのようなプログラミング言語』を搭載していた。多くの場合、それはBASICという言語だった。ウィリアム=ゲイツ3世は、ともかくそういうBASIC言語を各メーカーのパソコン向けに移植し売っていた。それがMicrosoft、最初からソフトウェアを売る会社だった。
この時期のパソコンでも、ソフトウェアが製品パッケージとして流通し、また記憶装置としてテープから遙かに高速なフロッピーディスクにメディアが移り変わるにつれ、ソフトウェアの数が資産となって特定の機種が売れるようになっていく。もっとも売れたパソコンはAppleのApple IIという機種だった。AppleIIはソフトウェアだけでなく、回路図が公開されていた拡張スロット向けに拡張カード類も豊富に流通し、一時代を築いた。

2.はたらく ぱそこん
そのうち、ある程度高性能化し、ビジネス用途にも使えるかな、という雰囲気になって来ると、それまで大型機ばかりやっていたIBMが新規参入する事になる。
このとき『ウチらどうせ後発やし、なるべく既存の部品を組み合わせて、ぱぱっとデッチあげてまえばええやん』という高度な意志決定があったらしい。
OSは内製せず、既にそれなりに名が売れていたMicrosoftに話を振った。CPUも内製せず、Intelに振った。そうやってほとんどすべてのパーツを外部から調達した。内製した基幹部分の仕様も公開し、サードパーティの参入を容易にした。それはまさにApple IIの再来だった。
ここからが、伝説(人によっては、暗黒の二重帝国時代とでも言うのかもしれないが…)の始まりである。

3.大型機の終わりの始まり
既にIBM-PCの3代目、IBM-PC/ATとその互換機(いわゆる『AT互換機』)がデファクトスタンダードになり、巷に溢れかえっている世界。ガラパゴス諸島状態だった日本も、この世代以降、だんだんと足並みが揃うようになってゆく。
そのCPUの主たる供給元であるインテルが、80386(後にi386に改称)というCPUを開発し、それがPCにも採用されてきた頃。それは普段は只の『より高速な16ビットCPU』として動作したが、その裏で、アドレスバスが32ビットで、かつ仮想記憶が利用できるようなモードを隠し持っていた。NECのPC-9801シリーズ等には、結局そんなモードで動くことなく廃棄されていった386搭載機も多いはずである。実は386にはもう一つのモードがあって…は本稿では割愛。
メインメモリとして使われる半導体素子、いわゆるDRAMはまだまだ高価で、あまり沢山は積めなかったけれど、ハードディスクはようやくまとまった容量のものが、個人向けPCに搭載してもいいかな位の値段まで下がってきていた。それは、研究所や大学の大型計算機上で動作していたUNIXの動作要件を、PCが満たしつつあったということだ。後はもう、コストと性能との兼ね合いでしかなく、果てしないコストダウンが始まる。
フィンランドのヘルシンキ大学に「あ、PCでもUNIX動かせるんじゃねえの?」と考えた学生がいた。
もちろん、そうした大学生よりも先に、80386(や、それより前の世代の)CPU搭載PC向けにUnix的なものを移植した、しようとした人や会社はいくつかあった。ただ、普及するような性能が出せなかったり、普及するするような価格で提供されなかっただけで。
表向きはMicrosoftとIntelの伝説の続きの時代ではあったが、ここからが、もう一つの伝説(とあるロン毛のおじさんはきっと『いや、それは俺の活動が起源だ!Emacs使え!!』と言うに違いないが…)の始まりでもあった。


…あーやっぱかったりー。

いや、だから、このエントリで言いたかったこと。
・『私の生まれた頃には、既に家にコンピュータがあった』なんて言い回しがあるけれど、パーソナルなコンピュータの発展はここ数十年の事だから、同世代の人間であっても、働き始める前から興味があったかどうかで、知識には雲泥の差が出るんです

・なりたくなかろうとなりたかろうと、誰もゲイツにはなれない
・誰もゲイツになれないのと同じように、誰もリーナスにもなれない

・誰もMicrosoftを責めることはできない
・EUが4億人を代表して訴訟起こしてるのって、ある意味MSに対する優しさなんだろうか。各国で弁護士用意しなくていいように、みたいな
・Microsoftに比べて、Intelについてみんな関心薄すぎ

・カーネルだけじゃない、OSの継続的なサポートについて、アメリカ合衆国発祥の企業体以外でそれなりに真っ当に運営できている組織って、どこにもないんじゃないでしょうか?
・ソースコードを入手できる自由というものは、『ソースコードを受け取らない自由』と表裏一体だと思う
・ソースコードを受け取らない自由のお陰で、我々はWindowsをブラックボックスとして扱い、その安定化・高性能化をMicrosoftに専任させている、という考え方は駄目でしょうか?

[OLPC プロジェクト、「マイクロソフトのような」経営のできるCEOを募集中] 『このプロジェクトが難航している理由をまとめ、解決方法を考えなさい』とかそういう課題をコンピュータリテラシの科目で出題したら面白いんじゃね、とか思った

2008年3月1日土曜日

透過的ルールと能力

何もホワイトカラー層に限らなくても、そこらの飲食店でパートさんが死ぬほど忙しそうだったりするのが珍しくない。
自分の周辺でも、ただでさえ火を噴いている現場に、J-SOXだかなんだかというワケワカラン法律がさらに滅茶苦茶にしそうな予感がある。

やっぱり、法律はちゃんと勉強すべきだと、最近、痛感しつつある。

法律を作る権利が、選挙で選ばれた人間に与えられる。
しかし、その権利取得の課程に、法案の立案能力を問うような仕組みが何ら存在しない。
政治家は自らの保身に狂奔し、政党は、勢力争いに明け暮れる。
反対のための反対。それを回避するための強行採決。

たとえば政党助成金などという意味のわからないものを作り出し、自ら『ただの公務員』に成り下がって。
要するに自らの陣営の支持者が増えないものだから、支持してくれる外国人に選挙権を与えちゃえ、というトンデモ法案が出されたりさえする。

国際政治の世界だって、そのプレーヤー達がやってることは国内と大して変わらない。
最近では二酸化炭素の『排出権』とか言う、訳わからないものに金銭的価値を設定して、売買するという。
本質的にばかとしか思えない。どの辺が環境保護へのインセンティブになっているのかよくわからない。人口が多い国がもっと汚くなって、少ない国がもっとクリーンになるってだけのことじゃないか。

何せ、日本の一地方程度の人口しかない『国』がごまんとあるのだ。
日本は47の国となって、国連に参加すればいい。
これで47票獲得だ。やったね。
…あーあほらしい。

そういう人たちの営みが企てとなって、どういう結果に実を結んでいるのかって事が、ほんの少しだけだけど、わかってきた気がしている。