2007年10月30日火曜日

つらいけど

[2007/08/10: 少年(???)は荒野を目指す part 2]
すごい人はすごい人で、こういうことになってしまうんですね。
これじゃ、泣き言は言ってられないですね。
いいますけど。えーん。

…でも、昔(昭和の…40年くらい?)は週休1日が普通だったんですよね…
欧米的なほうの神様だって、お休みは1日だけなわけだし。

2007年10月29日月曜日

『ウブントゥ』が注目されない理由

[Ubuntu Linuxが注目される理由]
Linuxカーネルがバージョン0.99、Windowsがまだバージョン3.1だったころから、私は過去13年ほど常用するデスクトップ環境として LinuxとWindowsの間を1、2年おきに行ったり来たりしている。Linuxにスイッチするたびに、その進化に驚かされる。もともとLinuxと いうシステムが持っている軽さ、安定性、透明性や、Unix全般が持つシステムの柔軟性や拡張性にも感動する。しかし、逆にWindowsに戻るたびに感 じるのはOSを取り巻く環境まで含めたその品質の高さだ。業界の大小のプレーヤーを巻き込み、長期間をかけてハードウェア、ソフトウェアともテストされた Windowsというシステムの品質に、Ubuntuは足下にも及ばない。カーネルと一握りのサーバソフトウェアだけが重要となるサーバOSとしての Linuxは高い評価を得てきたが、デスクトップ環境としてのLinuxは、まだ課題を多く抱えているといわざるを得ない。

そういう記者様の割に、CUPSについての言及とか、『…本当にデスクトップで常用っすか?』と思ってしまう部分もあったり(『CUPS』は、MacOSXがフリーライドする前から、既に充分使い物になる印刷環境だったよーだ)。
結局、Linuxデスクトップっていつの時代も、その時代のWindowsやMacOSと比べて、基本はちょっと後ろなんだけど、一部、妙にナナメ上行ってるような、そんな感じな気がする。
そもそも、個性的な一癖もふた癖もあるようなソフトウェアを組み合わせて、まるで単体のOSであるかのように見せなきゃいけないんだから大変ですよ。必ずしも、みんなが同じ方向を向いているわけでもない。FireFoxを収録するのに、フリーじゃないからって理由でロゴや名前も変えなきゃいけないとか、そんなケースもあるし。

で、
[日本語圏だけUbuntu話題にならず]
なんて、話題にならないのが日本の閉鎖性のせい?みたいな事にしようとしているけど、単に『日本語としては語呂が悪い』という、ただ一点に尽きるような。たとえその言葉が、どこかの国の素晴らしい言葉だったとしても。ものの名前って、そういうことを普通考えるでしょ。嫌われるであろう言い方をすれば、『英語じゃ表現できない』なんてことを売りにしてしまう時点で、多くの人に受け容れられることを否定している。
それに、先週末って『レパード(ってなんだよそれ昔の日産車かよ、レオパルトでいいじゃねえかよ)』の発売日だったんでしょ?そりゃもう日本と北米じゃ、Appleが話題独占ですもの。

2007年10月28日日曜日

USBについて

[パソコンと周辺機器をつなぐ「USB」っていつから使われてるの?]
『実は、1996年のUSB登場以前までは、周辺機器の接続って結構大変だった。シリアルポート、パラレルポート、PS/2ポート、SCSIポートといった 規格を使い分けねばならず、さらに機器に合わせてやたらと種類のあるコネクタ形状を見分け、正しいケーブルと組み合わせる必要があった。組み合わせを間違 えると機器が壊してしまうとまで言われており、ユーザーに要求される知識のハードルが今より遥かに高かったのだ。』

組み合わせを間違えるも何も、形状が違ったから刺さるはずは無い(キーボードとマウスは、PS/2接続だと形状がまったく一緒なのにそれぞれ専用ポートだから、確かに問題ではある)。
それに、他のインターフェースすべてが1996年時点ですべて置き換わった訳ではない。確かにシリアルとパラレルは(PCに直に出ているポートとしては)ほぼなくなっただろうが、2007年の現在でも、デスクトップやサーバではキーボードもマウスもPS/2がまだまだ現役だと思う。
iPodだって今は当然のようにUSBみたいだけど、2代目まではi-Link(FireWire)接続だった。

1996年ではなかった気がするが、登場当時のUSBはむしろ、OSでのドライバ実装に起因するリソース消費増大と低い安定性、USBホストアダプタとUSBデバイスとの相性、と諸々あって、なんか使い物にならない余計なのが増えてしまった、という認識だった。PC-98シリーズから脱却して先進的なイメージを欲していたNECが妙に頑張ってUSB化を推し進め、Windows95マシンですらキーボードやマウスをUSBにしてしまったものだから、当時は当たり前に発生していたブルースクリーン状態でキーボードがまったく効かなくなってしまうとか、そういう仕様で平気で売っていたのが信じられなかったものだ。汎用のマザーボードで作ってるから、実は中にはPS/2ポートがあるのに、USB使わせたいから塞がってたりもした。

その後、OSとしてWindows2000と98とMeが並存する頃になると、確かにUSBでいろいろなデバイスが出てきたが、特にAMDのK6-2とか、そういう所謂『互換CPU』と呼ばれていた非IntelCPUのマシンでは、あの悪名高い『VIA』製チップセットに搭載されたUSBコントローラを使わざるを得ず、泣かされた人は数知れないはずだ。
IntelのCPUなら平気だったというわけでもなかった。当時から低価格化が進められていたPCには、前述のVIAやSiSのチップセットで作られたマシンが当たり前に存在していた。でも今も昔も、マニアじゃないとそういう部分を気にしなかったから、みんなI/Oデータとかの、一見便利そうなUSBデバイスを買ってしまって、でもそれが自分の安いPCでは動かなくて、初めて現実を知ったわけだ。

そういう微妙な時代から、外付けHDDとかもUSB接続が結構普通になっていって、USB2.0が広まったこの数年で、もう、一般的な外付けデバイスはUSBしかないような状態になった。秋葉原の裏通りのお店で『何これー』とネタになったUSB扇風機も、USBクリスマスツリーも、USB保温器も、そのうちヨドバシとかに伝わって、地方の郊外型電気店まで広まって。

無粋でも、つっこまずにはいられない

[- パソコンの驚くべき歴史 -]

パソコンを設計開発できるメーカーというのは、いや、設計したメーカーというのは、 おおまかには、世界にただの2社しかありません。
米国IBM社と、同じく、米国モトローラ社です。
PS/2は現在もサーバー用途に使われてるものと思われますが、IBM社がパソコン部門を売却したため、PS/2の販売も中止されている可能性大です。

読んでてクラクラ来た。

ただIntelMacが、PCとしての(基本)設計が新しい(から音がいい)、という内容のことを言いたいだけのことで、なんでこんなになっちゃうんだろう。これっぽっちも同意できないけど。
こんなのが載せられてるのを読んで『ああ、ここでケーブル買おう』と思える人は本当に幸せな、私のおじいさんがくれたキャンディ、それは(途中略)、今では私がおじいさん、な人なんだなあと思った。
世間でWikipediaが編集合戦とか、大手企業や組織からの書き込みで偏っている、とか言われているけれど、それでも、なるべく客観的な事実に基づいて(いるかのように)書こうとか、多くの人が理解できる言葉で書こうとか、そういう最低限の配慮はあるよなあ、とか思った。

ただ、まともな人でも、自分が携わってきた分野のことしか知らないというケースはごく普通にある。
現役を退いた、日本でとあるプログラミング言語を引っ張ってきたという教授が『コンピュータの歴史』というような講演をされたのを聞いたことがあるけれど、最近のコンシューマレベルのPCの話とかになると、明らかに間違ってたり。
専門分野なんて限りなく細分化されていくものだし、講演なんて時間も限られるものだし、…歴史なんて所詮、勝者が書き残すものですよ。

ザクロの果汁100%ジュース

実家の庭で、バケツ4杯分くらいザクロが採れました。
そんなに生るものなのか、と驚くとともに、どんな食べ方があるかといえば、思いつきません。
とりあえず絞ってジュースにしたようなのですが、これまたびっくり。
(日本の)梨と同様、風味は比較的淡白でしたが、以外に、大変甘くて美味しかったです。
道理で鳥がみんな、つついてしまうわけだ。

人間系でフィルタかけたほうがいいんじゃねえの

[UNIQLO TODAY]

(見に行く日/時間によって変わるんでしょうが)
洋服やさんのキーワードに『パチンコ』て…

ナットウ菌をぶち撒けろ

[バイオ燃料は世界中で飢餓を増長、国連専門家が警告]
『化石じゃない、植えればまた生えてくる草から燃料ができたぜ、俺たちスゲー、イエー!』と、まるで打ち上げが成功した基地のスタッフのように沸きあがったかは知らないけれど。
『[地球|動物|森|ツバルの人々|et al...]を救え』だとか『未来の子供たちのために』とかなんとか言って、科学も政治も井戸端会議も、寄ってたかって散々囃し立てて、挙句の果てがこんなことに。

『にぎり1.5』(たとえ女性でも、どう考えても1人前です。山葵の発色も、あれはどう考えても水で溶いたやつです。本当にありがとうございました。)が『寿司の日』キャンペーンとやらで600円台で食べられるってだけで殺到したりとか、
『食べ物を捨てるのはもったいない!』からって家族の残り物をみんな食べて太って、振動する腹巻巻くと痩せられるって本気で思ってたりとか、
『食べ物を捨てるのはもったいない!』からって売れ残りを冷凍して賞味期限つけなおしたりとか、
誰もギャル曽根の健康状態を心配しないとか、田舎のおばちゃんはすぐ『コレも食べろ』って何か持ってくるとか、
誰も『食べすぎ用の胃薬』や二日酔い覚ましのウコンのなんたらとか、ファイト一発のアレみたいなのとか、そういう不幸な交通事故案件や不規則な労働を助長する医薬部外品?に特に重く課税をしようって考えないのはなぜかとか、
物流の効率を少しも考えないいびつな器と、高級な食材が料理の絶対的な要件であるかのように言っていた(らしい)じじい(但し、故人)が、ペットボトルの茶飲料のCMで権威付けに使われてたりとか、
さんざん古米が余っているのにもかかわらず、そのおいしい調理法の研究とかよりも、同じ炊き方でおいしいことが至上命題かのようになって、異国のより原種に近い米が馬鹿にされていたりとか、休耕を奨励してお金をばら撒いたりだとか、

そんなことばっかりだからダメなんですよ。
だから俺はいい年をして、『パンが好き』だなんて言ってるわけですよ。

2007年10月26日金曜日

人が努力して習得したことについて『分かるように説明しろ』という人

[数学ってなんの役に立つの?]

[数学を拒否するおばちゃん]

そもそも、文系学部で数学は必修ではないわけですが…
職業訓練校化しつつある最高学府では、理系ですら、数学なんて不要、とされてしまうのかもしれないですね。
ただ『頭でっかちな人間になってしまう』のは、数学より歴史とかのほうがもっと…という気がします。

『 コンピュータのわかる人が、わからない人をバカにしてる。もっとわかるように話をするべきだ』
僕らの業界の人はたぶん、こういう目で見られていると思われます。

仕事でも家庭でもコンピュータなんて使う必要が無い、って人であっても、
・キーボードでの日本語入力の反復練習
と、
・ファイル・フォルダの概念
・コンピュータは人間が作った機械だということ
程度のことが、誤解なく理解できる教育が確立されると、かなり違うと思うのですよね。
この3点は、たぶん今後どんなに画期的なシステムが出てきても、そう変わらないはず。
あとは、やっぱり当事者に進学とか仕事がかかってると学習しますよね。
(しない人もいるけど)

2007年10月25日木曜日

帰ってきました。

無駄にいきがって建てていた自宅サーバが壊れちゃったので、もうグーグルさんにおんぶに抱っこすることにしちゃいました。