2009年2月2日月曜日

夢を語る自由と、後の世に伝える義務

[あれから40年 (内田樹の研究室)]
学生運動を幕末期や戦中・敗戦後の動乱と同列に扱うというのは、いくらオバマが大統領になった2009年だからといって、許されるものなのだろうか。
隠喩はあくまでも文学的修辞であるべきで、こんな文書が後に、歴史の断片として記録されるのであれば、僕は学生運動に参加したりあるいはそれを肯定するすべての人のことを許せない。
その許せなさ加減は、日清日露の連勝に浮かれ、軍部の台頭を未然に防ぐばかりか助長した当時の臣民が、後に『私ども庶民は何もできませんでした』と何でも軍部や国のせいにする老人たちに対するのと同じくらいの許せなさであるわけだが、それでも彼らは戦後の貧困、被占領の屈辱からの脱却に向けた努力を続けた。それは、当時の慢心をに対する償いには充分過ぎるほどのものだと思う。だが、彼らは違う。
⇒追記。もう一度、ゆっくり通して読んでみたんですが、これってネタですね。読解力なくてサーセン。

[世代間闘争論、あるいは団塊の世代の精神的病理について - 代替案]
すべてが全共闘世代のせいだなんて思ってもいないし、いう気はないけれど、それでもこの人の書いていることは間違っていない部分が多いと思う。
⇒訂正。コメントのほうはよくわかんない。ていうかやだ何この話。

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