2011年4月13日水曜日

鶏と卵

[福島には原発が必要だった - 夢の中ではうまく歌える]

福島県に、原子力発電所に限らず、ダムだとか大きな工場だとかゴミ処分場だとか高速道路だとか、自衛隊の基地だとかアメリカ軍の基地だとか、そういうものが近くにあることで人が住むのに厳しくなっている場所ってのが、この国に限らず世界中にはたくさんあって、それは程度の差はあれど、もちろん東京都の中にもある。

少なくとも日本では、足尾銅山事件あたりから、どっちかっていうと『無辜な住民』がいつも正しい、みたいな展開になって、戦後は特に人命というものの価値が超インフレしてるから、おのずと悪の巨大企業、悪の自治体、悪の軍隊が大量に産まれた。
すべてが当てはまるとは決して言わないけど、その『悪』は、必ずしも後からやってきたとは限らないのだけど…

似たような話はもっと昔からある。その地域に昔から住んでいた人が手を出さない土地、というものがある。古来、住みやすい場所に人が集まってできた集落が、やがて都市となって、最初からあった土地だけじゃ諸々賄えなくなってしまう。すると、それまでは危なくて(不便で)近づかなかったような、山奥だとか海岸沿いだとか、おのずと土地代も安いような、そういった所を業者が地元民から買い取って分譲する。んで、そういう仕組みがわかってない、別の土地から入ってきた人だとか、所謂『家長』ではない2男以下の皆さんが、そういうとこに住み着いて、いつしかそういう土地に人が住むのが当たり前になっていく。

そういう土地で特に何も問題なく3代くらい世代を重ね、晴れて『父祖の地』となる。そうした土地での不便はもはや『悪』で、都市で受けられる恩恵は須らくそうした土地でも提供されるべきだ、という前提が出来上がる。

そうした『発展』を遂げるために頼ったのが『科学』というもので、それを裏付けにして、行政が動いて、都市計画だとか建築基準だとかそういったものが出来上がってきている。今回のような震災が起こったりすると、再び科学の分析・研究が深化して、しばしの間をおいて、行政にフィードバックされる。

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